平岡正明『江戸前』(2000年3月 ビレッジセンター)
切れば血が出る文学論
セッションとかクロスオーバーということを、日本語で何と言ったらいいだろう。「ないまぜ」――いい言葉だが、これは幾多もの色が混じり合っているだけで、互いに入れ込み合ったりはしていない。平岡正明の文章は、もっと過激に異質な分野が入り込み合うのだ。別物だと思っているものどうしが突然その濡れた口を開き、触手を伸ばし、触れ、互いに交わり、合体してしまっている風情――それが平岡正明の文章なのである。だからむろん、エロティックだ
一例を挙げよう。「森鴎外『舞姫』のホンキートンク」という文章の冒頭である。藤竜也作詞、エディ藩作曲の「横浜ホンキートンク・ブルース」と、ベルリンの町をさまよい歩く『舞姫』の一節を並べ、「な、おなじだろ」とくる。そればかりではない。横浜のサーカス芸人がヨーロッパのサーカス団のメンバーとなり、やがてドイツ人と結婚してドイツの地で死ぬまでを、『舞姫』論の中に置いてしまう。なるほど、こんなふうに並べられると、日本に逃げ帰って出世するのが、つまり「近代自我」かい?と言いたくもなる。
平岡は森鴎外も夏目漱石も「嫌いじゃない」と言っている。私もべつだん嫌いじゃない。が、いらいらする。私は大学生時代、近代文学を専攻して「近代自我」という心理学みたいな専門用語に苛立ち、ついに江戸へ逃げ出してしまった。私は(そしてたぶん平岡も)、文学とか音楽というものは、もっと地に足のついた、生きるか死ぬかの瀬戸際のものだ(そうであってほしい)と考えているのだ。
一葉の『十三夜』を文学として論じる前に、岡本文弥の新内で語るとどうなるか、を平岡は書く。斎藤緑雨の『門三味線』を論じる前に(いや、ほとんど論じることなく)「五寸釘の寅吉」という被差別部落の伝承や、鈴鹿の斎藤緑雨賞廃止の経緯や、新内、常磐津、『東海遊侠伝』、そして誰も知らない平岡家の歴史と交わらせて終章へと持ち込む。文学は単独で存在させるといい気になって空を浮遊するものだ。ちゃんと地に足をつけさせた時、作品の真価がわかるのである。生きるか死ぬかの現実を生きている人間のところまで引きずりおろすと読めなくなるような文学は、消えてしまえばいいのだから。
音曲と文学が濡れて交わるのはいつものこと。平岡の文章からは必ずといっていいほど、音が聞こえてくる。ジャズ、新内、義太夫、浪曲、歌謡曲からオペラまであらゆるものが交わり、本を読んでいるのか音を聞いているのかわからなくなる。ところが本書の緑雨の話の時には、音楽だけでなく、平岡自身のDNAにかかわる平岡家の歴史が入ってきた。家の歴史というものは決して抽象的なものではなく、切れば血が出る生身の人間にかかわる。だからめったなことは書けない。しかし血のつながった者の歴史を書くのは、存外重要なことなのだ。平岡が祖父の平岡慶太郎と緑雨を同世代のふたつの生き方として並べて見せたとき、そこに生じるのは単に、文学史を身近に引きつけたという効果だけではない。歴史や文学史の教科書に載るような人物が生きていた時代、じつは無数の無名の人々が現実を生きていたのであり、そこから照らさないと、維新だろうと革命だろうと底辺からの姿は見えて来ないのだ。単体としての文学はそういう意味で、嘘をつく。知識人が書いたものはなおさら、甚だしく偏っている。無名に生きた人々が何を感じ取っていたかを家族の歴史の中で探り当てるのは、歴史の闇に踏み込むことである。
私の祖母は平塚らいてうと同じ年に生まれ、らいてうの影響を受けて結婚を蹴飛ばし田舎を飛び出してしまった。しかしその後が違う。祖母は女性解放運動を担えるほど豊かでも、学歴があったわけでもなく、横浜の久保町の坂の途中にある「巴(ともえ)」という茶屋のおかみとして生きた。そのあいだに父親の違う三人の子供を産んだが、一度も結婚はしなかったし、名を残しもしなかった。それがらいてうの時代のひとつの姿である。その久保町で母も私も生まれ育ったが、その地もまた、「横浜」と聞いて人が想像するような場所ではない。むしろ平岡がたびたび書いている野毛のような所だ。私が平岡正明に共感し、同じように野毛を愛してやまないのは、そこでは無数の、決して格好いいわけではない無名の人々が生きて死んでいったことがわかるからである。その魂を感じるからである。こういうものは、文学にも歴史にも残らない。ところでその祖母は、関東大震災の時、横浜で朝鮮人の虐殺を目撃したひとりだった。平岡は荷風を関東大震災の朝鮮人虐殺の視点から書いている。そこに荷風と夢野久作の、「江戸」への二つの態度が見える。江戸に逃げたか、江戸を武器にして戦ったか、である。身につまされる問題だ。
身につまされながらも「大岡川めぐり」はおおいに楽しんだ。長谷川伸の世界を通して横浜大岡川の橋尽くし。長者橋、弁天橋、大江橋、宮川橋と橋をめぐるうちに、魚河岸の箱の上で歌を歌う少女時代の美空ひばりに出会う。まるでこの一篇、浄瑠璃を聞くようだ。平岡の手で横浜浄瑠璃ができたなら、その中で少女時代の私にも出会ってほしい。
(朝日新聞社『一冊の本』2000年5月号)
←
書評2
へ
書評4
へ→