『前日島』とは、一七世紀当時まだ確定していなかった一八
〇度経線(日付変更線)の発見をめぐる物語である。南太平
洋(フィジー近辺)上でその定点を発見した(と考えた)難
破船に、たまたま迷い込んでしまったイタリア人の青年ロベ
ルトは、眼前に見える島が前の日の島である(単に申し合わ
せとしてではなく、実際に過去としての)と、カトリック宣
教師に知らされ、なんとか渡ろうとするのだが、渡ることが
できない。――と、そのようにストーリーを要約しても、こ
の小説についてすべてを語ったことにはならない。
ではもうひとつ。『前日島』とは、三十年戦争の一環として
イタリアに起こった戦争で戦い、敗北の果てにパリに渡って
社交界で名を馳せ、やがて枢機卿のスパイとして太平洋を渡
る船に潜入させられた一人のイタリア人青年の、恋と冒険の
物語である。――この要約の方がエーコは気に入るに違いな
い。なんと素敵な大衆小説だろう。
さらにもうひとつ。『前日島』とは、自分の分身がこの世に
生きていて自分の人生を常に狂わせ、罠に陥れている、とい
う妄想を抱いた青年ロベルトが、難破した船の中でその分身
フェッランテについて書いた『フェッランテ物語』を、オラ
ンダ船が発見し、それをもとにエーコが書いた(ように見せ
かけた)物語である。
さらにもうひとつの要約は、この「妄想」という部分を「事
実」と置き換えれば出来上がる。
最後にもうひとつ。『前日島』とは、一七世紀バロック世界
の様々な新発明機器、科学と魔術の混在、大航海の結果飛躍
的に発展した博物学、このころ極端にまでヨーロッパ知識人
のあいだにつのっていった「普遍」への熱望と、それに関す
るありとあらゆる思想的立場、その議論をかわすサロン、そ
してそこに出現する数々の書物、それら全体のリストである、
と。
このへんにしておこう。『薔薇の名前』のときも、この題名
の下に「探求」「便覧」「百科」「後日譚」とついた別著者
による解読書が、邦訳が出されたものだけで四冊書かれ、さ
らにインタビュー集や本人の小説論まで出た(全部読んだ私
もそうとう変だ)。
『フーコーの振り子』もご同様。ストーリーをまとめたら、
幾通りもできてしまった記憶がある。『前日島』は上記のよ
うに最低五通りの要約ができるし、最高二〇通りぐらいはわ
けないであろう。訳者はあとがきで、いっそホームページで
も作ったらどうかと提案していた。なるほど。念のため検索
してみた。一月二〇日現在、日本にも海外サイトにも書評以
外はまだ存在していないが、もし作ったら、「便覧」を出版
するより気がきいている。
ところで、ストーリーが幾通りにも要約できることと、テー
マが何であるかはまた別の問題だ。しかしこれがまた、きり
なく発見できて厄介。人間にとって時間とは何か。その時間
が織りなしつつ死へ向かって生きていく「私」とは何か。こ
れがこの小説の(唯一のではないが)ひとつのテーマである
ことは確かだ。私は久しぶりに「人間はなぜ生きているのだ
ろう」という問題を感情的にではなく、知的に考え込んでし
まって頭を抱えた。だからこの本を読みながら恋愛するのは
すすめない。全身が感情的にも知的にもその疑問に包まれた
ら、健康に良くないからだ。
ところで「私」が問題になるのは、この本には一貫して「複
数の宇宙」「複数の自分」が描かれているからである。読ん
でいると、ロベルトはフェッランテで、エーコでもあり、さ
らには我々そのものでもある、という構造が無限の鏡像とし
て見えてきて気分が悪くなる。『前日島』を歴史小説だと思
って甘く見てはいけない。この本は、読んでいる我々につい
ての物語なのである。
どのような意味で我々の物語なのか。ロベルトが暮らす船
「ダフネ」はまさにこの世。時間のはざまに難破して動きが
とれない。そこでは無数の時計が時を刻みはするが、宇宙に
とって人間の時間など無意味。人間は自分の作った時間に追
われるだけで、悠久を感じ取ることもできないまま死ぬのだ。
そしてダフネの中にはノアの箱船のように植物、植物、鳥類
が繁殖してはいるが、いずれ限界がくるであろう。ゴミはた
まり、水もエネルギーも底をつく。宣教師(海外布教の宣教
師は当時の最先端科学者)は宇宙服のごとき潜水服を作って
海の中に入るが二度と戻っては来ないし、ロベルトは「過去」
に手が届かない。
我々の物語であることのもうひとつの側面は「欲望」という
テーマである。脇腹を裂かれたまま船で飼われる犬は、「共
感の粉」という一七世紀科学(?)の証明および子午線の確
定のために乗せられていた。子午線の確定は、新しく発見さ
れる島や陸地の位置を確認し、さらにたくさんのヨーロッパ
人を送り込むために必要不可欠だった。同じように今日の地
球上では毎日、遺伝子に至るまで生命が富のためにもてあそ
ばれる。一六、七世紀の大いなる欲望が植民地を生み、やが
て今日の難破船のごとき地球を作ってきた。
エーコの創り出す物語は常に、歴史と交わるだけでなく、今
日の現実と交わり、「もうひとつのあり得る史実」として出
現してくる。近世とは「複数の価値」が出現し、その困惑の
果てに欲望に振り回された時代だった。その地球の姿は今日
に酷似している。私たちロベルトは、この難破船の中でこれ
から、どうやって生き延びればいいのだろうか。
(朝日新聞出版局『論座』掲載予定の文章にいくぶん加筆。
ただしエーコの紹介は、このコラムのために書いた) |